お別れの時 ~最後まで関わり続ける~
先日、ブラヴィッシモ!通生より、ある利用者の方の訃報連絡が入りました。
その方は、今から35年前に、私が担当として支援させていただいた方でした。
今回のブログでは、この方との思い出を振り返りながら、
関わり続けるとはどういうことなのか、私の考えを述べさせていただきます。
最初にお会いしたのが、今から35年前のことです。
元々は在宅でご家族と一緒にお暮しになっていたのですが、
お母さまも年齢を重ね、おひとりで面倒を見ることが難しくなったということで
この法人をご利用されることを選ばれたそうです。
当時、私が担当していたのは、電気班といって
機械部品などの組み立てを行う作業を行っていました。
この班は学校を卒業したばかりの方たちが多かったのですが、
若い方の中でも、とても頑張っていらしたのを覚えています。
更に、その方は耳が不自由で、
周囲の方とのコミュニケーションでも苦労なさっていました。
私もその方とは、ずっと筆談でコミュニケーションをとっていました。
その後、何年か授産活動を続けられたのち、
今のフリーダムへ移行されたのですが、
ご高齢であったこともあり、よく誤嚥性肺炎を起こされていました。
一方、フリーダムでは医療的なケアが難しく、
こうしたケアができる体制があれば、という思いが
実は「ブラヴィッシモ!通生」が生まれる背景にもなっており、
高齢事業が始まるきっかけとなった方の一人でもあったのです。
そして、2017年にブラヴィッシモ!通生が誕生し、
その方は、ブラヴィッシモ!通生での生活をスタートさせます。
それからの3年間は入院することなく、
81歳でという年齢までブラヴィッシモ!通生でお暮しになられました。
筆談でのコミュニケーション、
自分よりも20年近く人生経験の長い方への支援、
医療ケアについて考える機会、
最初に出会ったのが、まだ私が20代の新人のころで、
以来35年間、この方のご支援をさせていただくことで
たくさんの成長機会をいただいた方でもあります。
そして、支援員として、施設運営者として、
立場は変わっても、35年間、最後まで関わらせていただくことができたのは
私にとって本当にありがたいことだと覆います。
一方で、この方が「最高の人生だった」と思いながら
この瞬間を迎えられたのかは、私にはわかりません。
ただ、こうやって35年、大事だと感じたのは
●その時にできる「最善」を尽くせたか
●その時の最善が、必ずしも最高のものではないと常に考え続けたか
●そして、一緒に考えてほしいと周りの人を巻き込んで発信できたか
この3つではないかと思います。
それが「最後まで関わり続ける」ということなのだと私は思うのです。
そうやって、考え続けた結果、
その考えに共感してくださった職員の皆さんや地域の方、
そして、何よりご家族のみなさまがご理解・ご協力くださり、
ブラヴィッシモ!通生が生まれたのだと思います。
この方に、たくさんのことを教えていただいたことに感謝しつつ、
これから天国でも、楽しく、その方らしくいていただけたらと願いながら、
ご冥福をお祈りいたします。
この35年間、本当に、ありがとうございました。
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