助け合うこと

先日、広島カープの歴史について紹介するテレビ番組を見ました。

戦後間もない時に誕生し、存続の危機に立たされた球団が、市民によって支えられ、窮地を乗り越えたストーリーを見て、誰かが困っていたら「他人事と思わず、手を差し伸べる」ことの大切さを、改めて実感しました。

今回のブログでは、この広島カープの歴史を少しご紹介したいと思います。


広島カープが発足されたのは、1949年(昭和24年)9月28日。原爆の悲劇からわずか4年ほどのことだったそうです。

しかしながら、当時はプロ野球の球団といいつつ、広島カープは会社がスポンサーについていない、いわゆる市民球団だったそうです。

初年度の結果は散々なもので、首位から59ゲームの差をつけられて最下位に。さらに当時の金額で600万円、今でいうと約6000万円ぐらいの赤字になっていました。

次のリーグが始まる前に、他の球団と合併されるという噂が広がった中、広島カープの初代監督である石本氏が、広島県庁前で「いま、この広島からカープをなくせば、二度と郷土に根ざした球団が存在することはできません」と資金協力を求めたそうです。すると、たった数十分の間で、県庁秘書課と会計課から次々と募金が集められ、当時の大卒初任給ほどの金額にまでなったのだそうです。

その後も、戦争からの復興のシンボルとして、広島カープを存続させたいと、市民による資金提供は続き、試合が行われる日には広島総合グラウンド入口に大きな酒樽が置かれて、県民・市民から惜し気もなくお金を提供したことで、球団の経営を存続させたのだそうです。


この話を聞いた時、今私たちが見ている広島カープは、戦後という厳しい状況の中で困っている人たちに対して、自分ごととして地域の人たちが支え、助け合ってきたことで、成り立っているのだというのを、改めて実感しました。


また、この番組を見た後に、現在侵攻を受けているウクライナに関するニュースを見ていたのですが、多くの市民が困っている中、その人たちのために「仕事を提供するのだ」と自社の工場が壊滅状態になったにもかかわらず、ウクライナ国内で再度工場を立ち上げた経営者の記事がありました。

場所も時代も違いますが、こうした地域の人たち同士が、周りの人たちのことも「他人事」にせず、助け合って生きています。


私たちP.P.P.も、これまで地域の問題・社会の問題を「他人事」とせず、支え合い助け合うことを大切にしてきました。

施設内にコロナウイルス感染が広がった時も、利用者様の支援を第一に継続できるよう、事業所の枠を越え、お互いに助け合いながら乗り越えていくなど、「困っている人を、自分ごととして支えている」職員のみなさんを、私はととても尊敬します。

ICHIGO ICHIE

一期一会 ~社会福祉法人P.P.P. 理事長のブログ~