言葉を超えた、つながり

先日、孫のお宮参りに一緒に行ってきました。

面白いもので、自分の息子・娘の場合は

「しっかりと育てていかなければ」という気持ちが強かったのですが、

孫というものは、本当に無条件でかわいい(笑)。


自分の血、自分の遺伝子…

それが、自分の子どもへ、そして、そこから孫につながっていく。

孫の顔を見ていると、

未来であるとか、つながりであるとか、そういったものをすごく実感できる。

そう思うと、ただかわいいだけでなく、

生命というものへの感慨も、孫の存在で気づかされたように思います。


そんな孫の姿を見て、思うのですが、

この子は生後数カ月で、まだ言葉を発することができなくても、

誰かの笑顔に反応して、一緒に笑顔になったり、

声のするほうに、一生懸命に目を丸くしながら反応したりしています。

何かの情報をつかみとろうと色んなものを見ようとして、

表情や声から、色んなことを表現しようとしているんです。

そして、ここからは面白いもので、

それを家族や身近な存在の人間は、泣き方や表情などで

「お腹が空いてるんだな」

「おむつ、変えてほしいのか?」など

何を訴えているのか、だんだんとわかってくる。

言葉ではないコミュニケーションが成立してくるんです。


そう考えると、コミュニケーションの本質は

「言葉ではないところ」にあるのかもしれません。

もちろん、言葉はコミュニケーションをスムーズにする上で、

とても大切な要素です。

しかし、「言葉とは裏腹に」という表現があるように

必ずしも、言ったことが本心であるとは、限らない。

その言葉の裏側にある、本心をどう見極めていくか…

それこそがコミュニケーションの難しさであり、面白さだと思うのです。


利用者の方への支援も同じ。

利用者の方が伝える「○○したい」という言葉の

本質は何か…ちょっと考えてみてください。


例えば、野球観戦がしたい。

それを叶えてあげることは、難しくないかもしれません。

でも、なぜ野球観戦がしたいと言ったんだろう。

…ここを深く掘り下げると、その方の本心が見えるかもしれません。



ICHIGO ICHIE

一期一会 ~社会福祉法人P.P.P. 理事長のブログ~