自由とは

今日は、少し理念に関するお話をしようと思います。


今回取り上げるのは

自由を奪う区別や制約を取り除く…

という内容における「自由」に関すること。


皆さん、自由って何だと思いますか?

自分がやりたいことを、誰の制限も受けずに、

自分の意思で決めていくこと…

それは、本当にその通りです。


しかし、それを言葉通りに解釈するだけでは、

足りないのかもしれません。


自分の意思で、やりたいことを選択し、実行した場合、

必ずその先に、「結果」が出てきます。

その結果を、自らが「受け入れる覚悟」をすることも

本来、選択をする場合には大切なことです。


さらに、何かを自らの意思で選択をした際には、必ず「責任」が伴います。

例えば「やりたいゲームを買う」という選択。

そのゲームを買ってしまったことで、他の支払いに影響が出てしまう時、

それでもそのゲームを買うと選択した場合は、

例えば「食費を削って食べたいものを制限する」

場合によっては「光熱費が払えなくなって、電気が止まってしまう」などの

支障が出てしまう恐れもあります。


確かに、障がいのある方の中には

こうした「その選択をしたことによる、今後の影響」についての発想が

思い付きにくいという方も、いらっしゃるかもしれません。

だからといって、「電気代が払えなくなるかもしれないから『買ってはいけない』」と

制限することが、本当に正しいことなのか。

言い方は悪いかもしれませんが、

もし、本当に本人がその報いを受け止める意思があるのであれば、

私たちに、その選択を制限する理由なんて、一切ないのです。


これは、あくまで日常生活の、小さな小さな一例にすぎません。

実は、仕事や住まいを決めるとき、

結婚など、人生の節目を迎えるとき…

その全ての選択には「結果」と「責任」が伴うのです。


以前にも、

「体に良くないことをするのだって、自由」と

ブログで書かせていただきましたが、

これも、実は同じこと。


自由を奪う区別や制約…

その一つは、こうした「結果」や「責任」を

障がいのある方自身が「受け止める」という権利を

実は、認められていない…

私たちの支援にあるのかもしれません。


本当の意味での自由を実現するためには、

彼ら自身が「自分の選択の結果を受け入れ、責任を負うことができる」と

私たち、支援する立場の人間や周囲の方々が、

認めていくことが必要だと、私は考えるのです。