これからの人生と「福祉」について
法人が今年、40周年という節目を迎える中、
私も今月、63歳を迎えます。
「老齢基礎年金」を受給する年齢になりました。
ただ、自分ももうそういう年齢なのかと気づいた時に、
残りの人生をどう「生き切るか」を考えるようになりました。
私も、このブログをはじめ、法人の理事長として
福祉の問題は、決して他人事ではなく、自分にもいつ起こるかわからない
「社会の問題」なのだと、色々な所でお話をさせていただいています。
この「社会の問題」を一人ひとりが、自分事としてとらえ、
当事者として、どう解決するかを考えていくことこそが、
「私たちP.P.P.は、自由を奪う区別や制約を取り除き、
関わる全ての人の当事者参加が当たり前の世の中を実現する」
という理念を実現する、第一歩なのです。
その大きなきっかけとなるのが
自分の人生をどう生きたいのか
「抱え込まずに」身近な人に話をすることだと考えています。
これは、私が母の介護に関わったときに感じたことです。
母が認知症を患い、いよいよ福祉サービスを利用することを考えた時に、
母にとって、どういう環境で暮らすことが最良なのか、
私たち家族が考えることになりました。
その時、母自身が、最期どういう生き方、暮らし方を望んでいたのかを
「知らない」自分がいました。
あの時母の想いを知っていれば、もっとできたことがあったかもしれないと
今でも考えることがあります。
とはいえ、私の心の中にも、
周囲に心配や迷惑をかけたくないという気持ちがあり、
何でもかんでも「これをしてほしい」と伝えるのに抵抗がある自分もいます。
自分自身がそうなることを、いつも考えているかと言えばそんなこともありません。
それと同時にきっと、若い頃、母が私に「自分が介護が必要になったら…」
という話をされたらどう思っていたのかを想像した時に
「まさか、そんなことにはなるまい」と感じていたかもとも思っています。
だから「理解してもらえないだろうな」と思ってしまう自分もいます。
ですが、家族の立場として「知りたかった」。
もし、それを知っていて、自分事として捉えることになったら、
周囲にいる経験者や同じ境遇にいる人たちに話を聞いたりしたと思うんです。
それならば、たとえ今すぐに理解は得られなかったとしても、
私は自分の家族や周囲の人に
自分の残りの人生をどう生きたいか、知ってもらうべきだと思ったんです。
この経験を、今度は福祉に携わる人間としてとらえたときに、
もし世の中に暮らす多くの人が、自分がどう生きたいのかを
誰かに話すことで、介護の問題を自分事として捉え
社会に暮らす一人ひとりがこの問題について考えるようになったらを考えました。
そうなったら「どうすればそれを実現できるのか」を真剣に考えるようになって
お互いの経験や考え・意見を交換しながら、
何億人という人の知恵が結集されて、何かすごいことが起こるのではないか。
だからこそ、もっともっとたくさんの人が
自分の人生をどう生きたいのかを
「抱え込まずに」身近な人に話をしていただきたいと、
福祉に関わる人間として、切に思うのです。
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